いただきの白雪は
裾野におりるや
霊峰富士の気迫に溶けていく。
*
天から地へ。白から黒へ。釉薬の変化は、そのせめぎ合い。


 
 
   



 





 



ふじさんらくちゃわん
ふじさん楽茶碗
10,500
円(税込)
申込番号 4-003 - 1967

・松楽作・約 径11.6×高さ8.3cm
・化粧箱


本阿弥光悦の国宝「不二山」茶碗を
念頭においてつくられた
楽茶碗。
釉の白黒の対比が斬新です。

白と黒の境目にある斑文様は、
雄大な自然の
ひとこまのよう。

     



     


  
 



←口つくりと胴

見どころの一つは
質感の対比のおもしろさ。

白い部分には
積雪を思わせる凹凸があります。

一方、黒い部分は
富士の裾野の豊かな地肌を思わせ
なめらな輝きを放っています。


     






 

←胴下部から高台へ

胴下半分には
縦のへら目がはいり
なだらかな多角形をかたちつくり
この茶碗の個性となっています。
     







 

←高台まわり
     








 

←見込み

内部も白と黒の対比が
楽しめます。
     

   
     
     
 
 
     



光悦
*
日本のダ・ヴィンチ
あるいはルソー







 


本阿弥光悦 (ほんあみ こうえつ ) 1558〜1637

書画、工芸、出版、陶芸、漆芸、蒔絵、染織等々、
自らはさまざまな分野で名作をつくり、よく目利きし、
他のさまざまな若い才能には活躍の機会を与えた希有の人物、それが光悦です。
日本初の総合ディレクターでもありました。

たとえば、「風神雷神図屏風」等で名高い俵屋宗達は、晩年に、
光悦と出会った幸運をしみじみと回想しているほど。
光悦は、この俵屋宗達、尾形光琳とともに「淋派の創始者」として、
日本文化に大きな足跡を残しました。 晩年まで盛んに活動し、
国宝「不二山」を生みだすほどの力量をみせた陶芸は
中年以降(50あるいは60歳頃から)に始めたものでした。

本来はすべて白くなるはずが、火の不思議のわざで片身変わりとなり
「天下に二つとなき」茶碗となったとして、「不二山」と命名。
このように創意とともに天の意までも我がものとしたのは
芸術に捧げた長い歳月と、鋭敏で自由な境地があればこそといえるでしょう。
後に「不二山」は、嫁にいく娘に与えられました。

***

ふくさ光房でご紹介している 「ふじさん楽茶碗」は
光悦を、あるいは国宝「不二山」を思いながら
さまざまに愛でるのにふさわしいお品です。

モノをつくり出す社会人として歩みはじめた時に
第2の人生をスタートする時に
女の子を授かった時に
嫁入りの時に。
そしてもちろん、茶の道に入る時に・・。

     
 

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