本阿弥光悦 (ほんあみ
こうえつ ) 1558〜1637
書画、工芸、出版、陶芸、漆芸、蒔絵、染織等々、
自らはさまざまな分野で名作をつくり、よく目利きし、
他のさまざまな若い才能には活躍の機会を与えた希有の人物、それが光悦です。
日本初の総合ディレクターでもありました。
たとえば、「風神雷神図屏風」等で名高い俵屋宗達は、晩年に、
光悦と出会った幸運をしみじみと回想しているほど。
光悦は、この俵屋宗達、尾形光琳とともに「淋派の創始者」として、
日本文化に大きな足跡を残しました。 晩年まで盛んに活動し、
国宝「不二山」を生みだすほどの力量をみせた陶芸は
中年以降(50あるいは60歳頃から)に始めたものでした。
本来はすべて白くなるはずが、火の不思議のわざで片身変わりとなり
「天下に二つとなき」茶碗となったとして、「不二山」と命名。
このように創意とともに天の意までも我がものとしたのは
芸術に捧げた長い歳月と、鋭敏で自由な境地があればこそといえるでしょう。
後に「不二山」は、嫁にいく娘に与えられました。
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ふくさ光房でご紹介している 「ふじさん楽茶碗」は
光悦を、あるいは国宝「不二山」を思いながら
さまざまに愛でるのにふさわしいお品です。
モノをつくり出す社会人として歩みはじめた時に
第2の人生をスタートする時に
女の子を授かった時に
嫁入りの時に。
そしてもちろん、茶の道に入る時に・・。
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